民主主義国家において、行政の悪徳は国民の無関心が原因

 増税に対して「行政の無駄を無くせ」って主張があるが、まぁ正しいのだが現実的には難しいんじゃなかいと。

根本的には”費用対効果を正確に評価することはできない”。
例えば”500m先の事務所に移動するのにタクシーを使うか?”。こんな単純な話でも、これを無駄と判断するか、適正なコストかと判断するのは難しい。

”移動する頻度”、”バスなどの代替手段の有無”、”移動する人の時間的猶予(ギチギチに予定が入っているのか暇しているのか)”、”タクシー会社と法人契約とかあり?”、”夏などの徒歩がツラい時期か?脱水症状などのリスクは?”などなど、”正確に評価する”ためには諸々の条件を考慮しなければならず、現実的には不可能。

いや、個人的に”アウト”って判断することは出来るだろうが、じゃあそれを”OK”と判断する人にどう納得させる?
可能性の問題の”リスク”、時間が経たないと分からない”長期的なメリット・デメリット”、数値化出来ない”心情”。どうとでも賛成・反対出来るからまぁ無理じゃね?

つか、もっと根本的に”公務員は私欲を捨てて業務を行うべき”って前提が無理でしょ。
それが出来るのなら共産主義国家が無事延命してるわ。

まぁ、ここまで書いたけど、無駄を無くすこと自体には賛成。
でも、ただ「無駄を無くせ」と言ったところで無意味だから、監査の充実くらいしか手は無いのかなぁ・・・。つか、監査委員ってどうやって選抜して、どれほどチェックしてるんだろ?
個人的には”行政の無駄”うんぬんするなら、まずはここを正常に機能するようにしないと駄目なんじゃないかと思う。