タガが外れたと表現したが、
もしかしてあれか?
日本人特有の「がんばった=エライ」病か?
思えば、コロナの危機意識が一番高かったのはいつか?
少なくとも1日当たり感染者数が5000人を超えた昨今より、
春~夏くらいの方がよほどコロナでピリピリしていた。
で、なんでピリピリしていたかと言うと、
情報が少なかったからってことは無い。
なんせ、当時と今で対処法に関する情報は変わらず
「手洗い・うがい・3密回避」しかない。
医学的には知見が深まっているだろうけど、一般国民には関係ないこと。
なので、個人的にはマスクや消毒薬が手に入らなかったから、
あんなにピリピリしていたんじゃないかと思う。
なんというか、マスクを買うのに大変な手間が必要で「大変な手間がかかる事態」=「大変な事態」って認識。
そう考えると、布マスクが普及して普通に買えるようになった頃から
随分国民はまったりモードになった気がする。
うん。
そして、「手間がかかる量」=「事態の重要度」と思いがちな日本人は、
なんらかの「手間がかかる事態」に追い込まない限り
コロナに対して緊張感を持てないのではないかと心配する。
あ~、嫌だ嫌だ。
こんな心配杞憂であって欲しいのだが、
いったいどうなることやら。
もしかしてあれか?
日本人特有の「がんばった=エライ」病か?
思えば、コロナの危機意識が一番高かったのはいつか?
少なくとも1日当たり感染者数が5000人を超えた昨今より、
春~夏くらいの方がよほどコロナでピリピリしていた。
で、なんでピリピリしていたかと言うと、
情報が少なかったからってことは無い。
なんせ、当時と今で対処法に関する情報は変わらず
「手洗い・うがい・3密回避」しかない。
医学的には知見が深まっているだろうけど、一般国民には関係ないこと。
なので、個人的にはマスクや消毒薬が手に入らなかったから、
あんなにピリピリしていたんじゃないかと思う。
なんというか、マスクを買うのに大変な手間が必要で「大変な手間がかかる事態」=「大変な事態」って認識。
そう考えると、布マスクが普及して普通に買えるようになった頃から
随分国民はまったりモードになった気がする。
うん。
そして、「手間がかかる量」=「事態の重要度」と思いがちな日本人は、
なんらかの「手間がかかる事態」に追い込まない限り
コロナに対して緊張感を持てないのではないかと心配する。
あ~、嫌だ嫌だ。
こんな心配杞憂であって欲しいのだが、
いったいどうなることやら。